ざね旅

世界一周の様子をつづります。

2019/11/27,28 ホーチミン見学

f:id:tindul-naozane:20191202201330j:plain

こんにちは。食中毒ざねです。本日は、ベトナム・ホーチミン見学の様子をレビューいたします。ああ、お腹痛かった。ちなみに写真は、ホーチミンの観光スポットの一つ・サイゴン中央郵便局です。

 

 

27日 プノンペン⇒ホーチミン

プノンペンから今回もバスでホーチミンへ向かいました。ホテルで予約して、ピックアップに来てもらったため1200円くらいかかりました(最安値は1000円以下)。

利用客は殆どカンボジアの人でしたが、席がすいていたため広々と使えて快適でした。

 

タイやカンボジアの長距離バス・電車では、大音量で動画を見たり、誰かと大声でビデオ通話していたりする乗客をよく見かけました。そして、静かにしなさいといった類の注意書きも見たことがありません

  

こういう違いを発見すると、改めて多くの日本人が共有しているルールや考え方(今回の例では、公共の場では静かにすべき・人に迷惑をかけてはだめなど)が浮き彫りとなる気がします。

 

今回、初の陸路による国境越えをしました。

f:id:tindul-naozane:20191201145835j:plain

国境管理施設

バスのスタッフが英語を殆ど喋れなかったため、残念なことに終始何が起きているのかよく分かりませんでした

一度バスを降りて検問っぽい所を通ったので、乗客の荷物チェック・パスポートチェック・車両チェックが行われたんでしょうね、多分。

 

国境を超えると、当然ながら街中にある看板の文字が全てクメール語からベトナム語に変わりました。f:id:tindul-naozane:20191201150239j:plain

現在のベトナム語では、フランスの植民地時代に普及したクォック・グーと呼ばれる表記が行われています。これは、ラテン文字に声調記号(音の上げ下げ)が記された文字で、長らく中国フランスの支配下(ちなみに、日本が占領していた時期もあります。)にあった影響が至る所に見られるのは、非常に興味深い所です。

 

乗客が少なかったためか、途中で全員バスを降ろされ普通車でホーチミン入りしました。市街地へ到着すると、とんでもない数のバイクが。  f:id:tindul-naozane:20191201152007j:plain

 ベトナムの平均月収は3万円ほど。しかし一般人でも、ITエンジニアなどでは月収20万円ほど稼ぐ人も多くいるようです。

 

ただ、ベトナムでは自国の自動車産業を発展させるため、輸入規制が厳しかったり、高額な関税が設けられたりしているようで、現状普通の人が自動車を手に入れるのはまだまだ難しいみたいです。

 

ホテルにチェックインする前に、クレジットカードでキャッシングするためATMへ向かいました。そこでキャッシングした時のレシートが以下になります。

f:id:tindul-naozane:20191202011528j:plain


 20万ドンという超大金をおろした感じがしたのですが、これは約1000円で、翌日にはお金が微妙に足りなそうだったので、また手数料をかけて下ろす羽目になったのでした。下ろす桁数を一桁間違えた筆者。ベトナム初心者丸出しで、何とも恥ずかしい。

 

ベトナムドンはインフレが凄まじく桁数がとんでもないため、カンボジアに引き続き、通貨のやり取りがややこしかったです。ああ、もう。

 f:id:tindul-naozane:20191201004154j:plain

夜には、サイゴンスカイデッキというオフィスビルの展望台へ登りました。ホーチミンは写真のように、かなり発展しています。

 

スカイデッキは人で溢れており、中には日本人によく似て、とても可愛らしい人が沢山いるような感じがしました。

 

しかし話す言葉をよく聞いていると、皆日本語を喋っており、おそらく修学旅行か何かの団体でした。結局、日本人女性が一番可愛く感じるのでした。

f:id:tindul-naozane:20191201194624j:plain

帰りのエレベーターを待つ人々。何故か男の人(もちろん日本人)がほぼ全員キャップを被っていたのですが、現在日本ではキャップが流行っているのでしょうか。ここ一ヶ月の日本トレンドに置き去りにされている筆者。帰国したらキャップ一択ですかね、これは。

 

28日 朝

午前中にホテルを出て目的地へ歩いて向かおうとしたところ、この町の交通状況の危険さを理解しました。道路を横断しにくいランキングがあるとするならば、この街は東南アジア内で1、2位(ハノイが1位?)をマークするのではないでしょうか。

 

とにかく交通量が多い上に、逆走・歩道を走るようなバイクも結構います。また大きな交差点以外に信号が無く、筆者は最初、ホテル前の道をなかなか渡ることが出来ませんでした(その後は慣れましたが)。

ちなみに運転者年齢若年ランキングがあるとすれば、おそらくカンボジアが1位で、小学3年生くらいの子供たちが普通にバイク3人乗りをしていました。カンボジアでは125cc以下のバイクなら免許不要らしいです。

  

 ベトナム戦争証跡博物館

f:id:tindul-naozane:20191201004227j:plain

午前中に訪れたこの博物館には、ベトナム戦争にまつわる物が展示されていました。

 

ここの展示は、戦争の悲惨さが際立つ構成になっていたように感じました。

 

ゲリラ戦を展開してくるベトコン(南ベトナム解放民族戦線)に対して、ゲリラたちが隠れる場所を無くすため、米軍が使用した枯葉剤によって多くの土地が汚染されました。汚染された土壌は、何世代にも渡りベトナムの人々に遺伝的疾患を引き起こしたのでした。

※以下ショッキングな写真となっているのでご注意ください。

 f:id:tindul-naozane:20191201215718j:plain

 また、戦闘に参加した米兵たちの中にも枯葉剤の犠牲となった人々がいたようで、そのことに関する展示もありました。

この戦争では米軍にも5万人以上の犠牲者が出ており、米軍内で反戦を訴える動きもあったようです。 

f:id:tindul-naozane:20191201204449j:plain

一部の米兵たちが行った反戦運動の、キャンペーンポスター

f:id:tindul-naozane:20191201220130j:plain

これは、米軍に従事していた証言者の回顧録と、その当時の写真です。彼の上官が、その場にいた一般農民を全員撃ち殺したそうです。

別の展示では、全てを破壊し、全員殺すことが当時のアメリカ軍の、とある部隊でのミッションだったと述べられていました。

 

f:id:tindul-naozane:20191201204402j:plain

 日本人戦場カメラマンの写真も、多く展示されていました。これはその一枚で、どう見てもただの農民にしか見えない男を追いかける米兵の様子です。

 

f:id:tindul-naozane:20191201222339j:plain

幾つもの痛ましい写真や、ベトナム戦争に反対した人達のエピソードが展示されていました。こういった写真や活動によって世論は反戦ムードに傾き、その世論の後押しによって、アメリカ軍はベトナムから撤退していくこととなったのでした。

 

靴磨き

ベトナム戦争証跡博物館を出て、次の目的地まで歩いていたところ、いきなり若い男が筆者のサンダルを磨き始めたのでした。立ち止まっていないにも関わらず動く足にまとわり付きながら、靴を磨くことが出来るテクニックはあっぱれという感じでした。

f:id:tindul-naozane:20191201225000j:plain

凄い技術を駆使して纏わりついてきた男

正直全く靴(というかサンダル)を磨いて欲しくなど無かったのですが、足に纏わりついてくる情熱が凄すぎて、何だか面白いと思ってしまい、そのまま磨いてもらってしまいました。といいますか、ずっと磨かれていたのですが。

f:id:tindul-naozane:20191201225006j:plain

二人に増えた靴磨き

そして10分ほどで磨き終えると、彼らは靴磨き代として10万ドンという超大金を要求してきたのでした(日本円にして500円くらい)。ベトナム人の平均日給は1500円くらいなので、かなりウマい商売です。天才か、お前らは。

流石に高いと言って出し渋っていたのですが(当時の所持金800円くらい)、財布からお金を取り出しかけてしまい、それを狙って颯爽と5万ドン札2枚を抜き取られてしまいました。

食い下がっていると、すぐに150円くらい返してくれたので納得価格でしたが、東南アジアではこういう類のぼったくり?や値切り交渉が頻発します。まあ、お金持ってるんだから払いなさいよという向こうのスタンスも理解はできますが。こっちはこっちで節約したいので、たまに戦いになります。というか、これが無ければもう一度お金を引き落とす必要は無さそうでした。何という物価の安さ。

f:id:tindul-naozane:20191201230604j:plain

磨いてもらった3日後、今の写真。まだ割とキレイ。むしろ、足が汚い。


 統一会堂

f:id:tindul-naozane:20191201223228j:plain

ここは南ベトナム政権時の旧大統領官邸です。それ以前はフランス提督が利用していた建物が同じ場所に建っていました。(1962年、爆撃により倒壊)ここはベトナム戦争終結の場所で、ベトナム統一のシンボルとなっています。

 

中はground floor(1階),1st floor(2階),2nd floor(3階)となっており、日本人的にはややこしいこの階数の数え方も、フランスの影響ではないかと思われます。

f:id:tindul-naozane:20191201234218j:plain

 

旧大統領官邸のため、会議室や執務室が多いのですが、中にある調度品には中国的な雰囲気も強く感じられるように思いました。

 

そして、一番気になったのは国家安全保障会議室。

f:id:tindul-naozane:20191202000707j:plain

 

ここにある電話は各国の要人などとの直通電話だったようですが、ピンク色の電話は女性への直通電話だったそうです。しかも二つもある。どういうことなんでしょうか。

筆者は気になってしょうがなかったのですが、別の観光客についていたガイドさんの話を勝手に聞きかじっていただけなので、流石に質問までは出来ませんでした。ググっても出てきません。詳細を知っている方がいれば、ぜひ教えて頂きたいです。

 

f:id:tindul-naozane:20191201234349j:plain

 

3階には劇場やプレイルームなどの娯楽施設がありました。来賓の接待に使われたのでしょう。そのまま屋上まで上がると、ヘリコプターが。

 

f:id:tindul-naozane:20191202000015j:plain

 

そして順路通り進むと、最後に行きついたのが地下室でした。

 

f:id:tindul-naozane:20191201224752j:plain

 

地下室は軍事指令室として使われていたようで、多くの無線傍受機や通信機器が、当時のまま置かれていました。この地下室の雰囲気は、他ではなかなか味わえないものだったと思います。

 

 最後のフィルムルームでは、統一会堂の歴史やベトナム戦争の経緯について、主に政治的な観点から振り返ったビデオの上映が20分くらいありました。ビデオからは、統一を果たしたことに対する強い誇りのようなものが感じられました。一種のプロパガンダかもしれませんが。

 

ちなみにビデオは英語で視聴したのですが、視聴室を出るとおそらく同じ内容のビデオをそれぞれ異なる言語によって4部屋くらいで上映しており、その中には日本語もありました。こっちで見れば良かったと後悔したので、皆さんも訪れる際にはご注意を。

 

 

 今回はこんな感じの記事でしたが、見学中も含め、この日に僕は30回くらいトイレに駆け込み、お尻がヒリヒリしていたのでした。その詳細につきましては、次記事で。

 

にほんブログ村のランキングに参加しております。このブログを応援して下さる方は、良ければクリックしてください。変なサイトには飛びません。大丈夫です。

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村