アジアの秘境【ラオス】ってどんな国?
さばでぃーざねです。今回筆者は日本人にとってはあまり馴染みのない国、ラオスに2週間強滞在していたため、せっかくなのでどのような国なのかお伝えさせて頂きます。
そもそもラオスってどこにある?
ラオスってどんな国?
使用通貨
クレジットカード
QR決済
食事
街の様子
ヴィエンチャンの中心街にある、タラートサオモール(普通に小さい)に1月4日の16時頃筆者は行ったのですが、店の半分以上は閉まっており、その他の店も閉店間際という感じでした。見ての通り閑散としていました。その商売っ気のなさたるや。
村の様子
ノンキャウやムアンゴイ、バンビエンといった村はそのような場所で、非常に低いハードルでこの地方の農村の雰囲気を堪能することが出来ます。
何処にでもお金持ちは居る
まとめ
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パンダ・グルメ・大自然【四川省・成都】観光!
成都とは
四川省の省都で、成都市の人口は約1600万人。東京都全体の人口が1400万人いかないくらいなので、かなりのビッグシティと言えます。
グルメ
筆者がこの街で行った飲食店では、マクドナルド以外では全ての食べ物にラージャオ(花椒と唐辛子などを混ぜた辛いやつ)をかけて食べていました。まあ、筆者も割と何にでも醤油掛けるので、人のことは言えない気もしますが。
成都も麺食が中心のようでしたが、いくつかの店では米を食べることも出来ました。
そして、麻婆豆腐を考案したと言われている、陳麻婆豆腐店もこの街にありました。
麻婆豆腐、野菜炒め、白米4人前くらいお腹いっぱい食べて(たしか)900円くらいでした。中国にしてはかなりの贅沢価格。勿論とても美味しかったです。
パンダ基地
筆者もご飯を食べているだけで、可愛いなどと言われてみたいです。まあ、乳児期はそうだったはずですが。
錦里古街
あと、西安や成都ではよく耳かきのサービスを見かけました。
筆者は、西安の城壁の上にあるベンチで耳かきをしているカップルも見かけました。この付近の地方の人たちは、中々耳かきが好きなようです。
都江堰
この都江堰も勿論、世界遺産に指定されています。
犀浦
青城山
後山には泰安古鎮という唐代から続く古い街があるのですが、残念ながら四川大地震の際に建物が壊滅的な被害を受け、現在の街並みは立て直されたもののようです。お土産屋さんや飲食店、宿などを多く見かけました。
ちなみに後山において徒歩で軽く観光できる範囲はそれ程広くなく(その気になれば、山の散策は出来ますが)、一時間無くても十分回りきれるくらいの規模感です。しかし、筆者の極度の方向音痴ぶりと中国語聞き取り能力の低さの為に、ここで1時間半くらい迷子になり彷徨っていました。
峨眉山
特に、雲の上に突き出ている山頂からの眺めは最高でした。
まとめ
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最も中国らしい都市【西安】観光!
西安とは
街の様子
ここの街並みも割と良い感じでした。近代的なビルと歴史的な遺跡の共存する街といったところでしょうか。
グルメ
あまりのビャンビャン押しに負け、筆者はお土産に缶バッジまで買ってしまいました。
こちらは回族(中国のイスラム教徒)の人が出しているお店での料理。羊肉泡馍と言って、パンみたいなのを細かくちぎったものがスープに浸されています。
大変な作業の後の飯が、また旨い。まあちぎるだけなので、大変さのレベルが知れていますが。
観光地
城壁
鐘楼・鼓楼
陝西省歴史博物館
展示には、何だか違和感を覚えるやつも混ざっていました。
お墓を守る獣らしいです。とりあえず、アゴに触るとやられてしまいそうです。
大慈恩寺
玄奘の銅像もありました。塔を背景にすると、とても写真写りが良い感じがします。僕も、誰かにこのような銅像を建ててもらいたいものです。
西安清真大寺
兵馬俑
碑林
まとめ
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【似て非なる国】中国と日本の違いとは
大家好。とんでもなく風邪をこじらせたざねです。今回はマニラを発って上海へ2泊3日ほど滞在しました。しかし筆者はマニラ滞在から風邪をこじらせており、正直上海では殆ど何もしていません。そこで今回は中国都市部で日本と異なると筆者が感じたことをつらつらと書かせて頂きます。
交通機関
地下鉄
高鉄
寝台列車
上海⇒西安をこれで移動しました。移動時間は15時間強、料金は310.5元(硬臥:通常寝台席。約5000円)で、揺れも殆どなく非常に快適でした。
大体どの街でも区間内均一料金で、上海で2元(約30円)、少し田舎の峨眉で1元(約15円)でした。とにかく安い!ちなみに都市部のバスはどれも車両が新しくとても綺麗でしたが、峨眉では古そうな車両を使用していました。
シェアサイクル
中国ではシェアサイクルも発達していました。比較的多くの場所でシェアサイクル用の自転車を見つけることが出来て、30分あたり1元(約16円)という超お手頃価格で利用できます。これも、スマホのアプリで乗車から決済(QR決済)まで全て行います。
筆者はスマホによる支払い方法が分からなかったため利用できませんでしたが、WeChatやAlipayが普通に使用できる中国国民にとっては非常に便利なサービスのように思われました。また、街に清掃員や警察官が大量にいる為か、通行の邪魔になるような場所に駐輪してある自転車を筆者は見かけませんでした。
電動スクーター
滴滴(DiDi)出行
Uberのような配車アプリの滴滴が都市部では多く使われています。アプリで目的地を検索してドライバーを予約すれば、近辺の滴滴ドライバーがやって来てくれます。滴滴ドライバーが使用している車両もキレイで快適でした。
物価
発展している都市部のサービス
電子決済
外卖(ワイマイ)
日本と異なる街並み
そして街中で清掃員も非常によく見かけました。正直中国人の中には、中高年以上を中心に日本的にはマナーの良くない人が明らかに多いです。具体的には、建物内など何処でも構わずタンを吐く、何処でもタバコをポイ捨てする、道のど真ん中で子供におしっこをさせるなど、日本では中々見られない光景を日常的に見ることができます。しかし、多くの清掃員が常に街を掃除しているため、街の中心部は想像以上に清潔に保たれていました。
日本的にはマナーが良くない振る舞いのおかげで、清掃員の雇用が大量に生まれていると考えると、これも一種の価値観やシステムの違いに過ぎないのかもしれないと感じました。
普通に列に割り込む
標識が面白い
中国でユニークな標識をいくつか見かけました。
①多くのトイレで見かけた呼びかけ
③西安の城壁で見つけた禁止事項
「敬畏遺跡、文明守徳」遺跡に敬意を払って、礼儀正しく道徳規範を遵守しましょうとのこと。書かれていることは至極真っ当なのですが、そのレベルが糞便の禁止なので、少し前の人たちは、よほど遺跡に敬意を払っていなかったのでしょう。
大量の警察官
都市部ではあらゆる場所に、本当に多くの警察官が立っていました。また、街中にはかなり多くの場所に監視カメラが設置してあるようです。プライバシー侵害の問題もあるかとは思いますが、これで治安が改善されているのであれば良いのではないかと筆者は思いました(実際に中国の犯罪発生率は、欧米に比べてだいぶ低い)。しかし何とも中国らしい感じがします。
社会主義核心価値観
西安の寺院で見かけた社会主義核心価値観の看板では、これらの標語一つ一つについて仏教的な解釈がなされていました。非常に興味深い。
https://dailyportalz.jp/kiji/170825200511
インターネット規制
中国ではインターネットの情報がかなり規制されています。グーグルのサービスが全て利用できず、LINEやインスタグラム、ツイッター、フェイスブックなど多くのSNSも使用不可、そして政治的な理由から多くの情報にアクセス出来ません(多くの卑猥なwebサイトに接続できないことも確認済みです笑)。普段通りの環境でインターネットを利用したい人はVPNを使用しましょう。
ちなみに筆者が利用した無料VPNアプリでは、多くのSNS利用やネット閲覧はできたのですが、グーグルのサービスは一部利用できません(検索、グーグルフォトバックアップ)でした。
情報規制に関しては、観光客にとっては不便極まりないの一言に尽きるのですが、中国にとって、実は良い側面もあるのではないかと思いました。
例えば中国では今なお独自のIT企業が成長しています。筆者は中国ではグーグルの代わりに、検索や地図、翻訳などで中国の大手IT企業百度(Baidu)のサービスを利用していたのですが、正直グーグルのほうが便利で良いサービスを提供していると感じました。
しかし中国ではグーグルのサービスを規制しているため、まだ技術的に多少未熟な自国企業をグーグルと競わせずに国内で育てることが出来ます。
もし今、中国が全ての情報規制を撤廃したならば、多くの中国IT企業はグーグルやアマゾンなどアメリカに本部を置くスーパーIT企業達との熾烈な競争に晒され、サービスシェア率は激減すると思います。自国産業を育てる上で、情報統制も決して悪くはない側面があると思いました。
よく見ると何かが違う
バケツを持っている人
中国人の友人にこのことについて尋ねても、荷物を運んでいるんじゃない?くらいの反応で、何故バケツを使用しているのかは最後まで謎のままでした。
漢方薬が普通に処方される
日本では通常、西洋医学の薬が処方されますが、中国では西洋医学の薬と漢方薬の両方ともよく飲まれています。漢方薬のほうが保険負担される金額の割合が高いそうなので、お得感があります。
筆者はこれを飲んで風邪を治しました。普通に効いた気はします。
お箸のおき方
面白いことに中国ではお箸の置き方が日本と異なります。中国では、食事中や食膳にお椀の上に箸を置くとき、お箸を縦向きに置きます。こっちの方が箸を取りやすいそうです。
また、食事を終えたらお箸をお椀の上に置かずに、テーブルの上に置くのがマナーだそうです。
似ているようで異なる文化というのは、何だかパラレルワールドに来ているかのように感じられ、非常に面白味が感じられます。
お米を食べない
主に中国南部では日常的にご飯(お米)が食べられているのですが、北部では麺やパンのようなものが中心で、ご飯はあまり食べられていません。中国人は皆日常的にご飯を食べていると、勘違いしている人も多いのでは無いでしょうか。
まとめ
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フィリピン・マニラのスラムで【無料】ボランティアに参加してみた!
ボランティア応募
必要とされる英語能力
1:トンド地区ボランティア(Project Pearls)
朝食タイムの後はクリスマスプレゼントのTシャツを配布しました。
その後は、それに着替えた選りすぐりの子供ダンサー達がパフォーマンスを披露してくれました。
この地区の健康問題はかなり深刻なようで、ここではパクパクと呼ばれる激安ローカルフードがよく食べられているのですが、これがかなり衛生的に良くないようです。
パクパクは、ジョリビーという有名ファストフード店から出る残飯を調理しなおした料理です。下の動画はパクパクの調理過程から店先で食べられるまでの動画です。
2:パッサイ地区ボランティア(Pasay Pups)
3:パヤタス地区
しかし、マニラ中心部からパヤタス市街地近くのLitex Marketという市場まで多くの高速バス(UV)の便が出ており、この市場からもパヤタスに向けて大量のジプニーが走っていたため、結構アクセスは良かったです。
筆者が街を歩いていると、ゴミを一旦集積する場所の近くで行われている、ちょっとしたパーティーをしている人達にこっちで一緒に飲まないかとハイテンションで声を掛けられました。結局ウイスキーやスパゲッティ、フライドチキンなどをご馳走になってしまいました。
ここにも定番の自前カラオケがあり、人々は熱唱していました。数メートル先に大量のゴミが積まれていなければ、フィリピンによくある光景と何ら変わらないと言って良いでしょう。
筆者が思ったこと
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喧騒と優しさの街【マニラ】の実際
お久しぶりです。チャイナのネットブロックを逃れたざねです。日本人でセブへ観光で行く人は多くても、マニラへ観光で行く人は少ないのではないのでしょうか。治安が良くない、スラムが多いなど、皆さんがあまり良くないイメージを持っているかもしれないマニラに筆者は1週間ほど滞在していました。今回はその様子をレビューいたします。
マニラとは
フィリピンの首都で、首都圏には1200万人以上の人口を擁する超巨大都市。マニラ首都圏は東京都23区と大体同じ大きさで、23区の人口が900万人強なので、いかにマニラが多くの人口を擁しているかが分かります。
マニラではMRT,LRTなど比較的新しい地下鉄のような電車路線、地上を走る列車路線のPNR、一種の乗り合いバスであるジプニー、UVと呼ばれる高速バスなど様々な移動手段が発達しています。
そして中心部ではとにかく何処へ行っても大量の人がおり、多くの車が常にクラクションを鳴らしているため、かなり騒音が激しかったです。また、街中で大量に走っているジプニーがディーゼルエンジンを使っているせいか、とにかく空気が悪いです。
また道端のそこら中にゴミが落ちており、その量はゴミを拾って売るスカベンジャーという仕事が成り立つレベルで多いです。
ネガティブなことを多く書いてしまいましたが、街は子供を含め多くの若い人で溢れかえっており、とにかく活気に満ちていました。また、人々が本当に優しくて人懐っこく、困っていると助けてくれたり、筆者は現地人と間違えられて、よくタガログ語で声をかけられたりしていました。筆者は今のところこの街が一番好きです。
マニラの治安
きちんとした一次資料を掲載できなくて申し訳ないのですが、アメリカやヨーロッパなどの西洋諸国と比べると、強盗や強姦などの犯罪発生率は遥かに低いです。ただ、この国では比較的容易に銃を入手できるせいもあってか、殺人の発生率は他国と比較するとかなり高いようです。ただ、普通に注意して過ごしていれば犯罪被害に遭う確率はそこまで高くはないと言って良さそうです。
実際、深夜に一人で街中を歩く現地女性を筆者は沢山見かけました。街の人々の多くはとても親切で、貴重品などに注意して華美な服装をしていなければ、危険を感じるようなことはないと思います。
グルメ
マニラでは、とにかく皆フライドチキンと白飯が大好きでした(セブもそうでしたが)。かなり多くの割合で飲食店にはこれらが置いてありました。あの世界的ハンバーガーショップのマクドナルドですら白飯を注文できる徹底ぶり。
街中にはファストフード店が非常に多く、外食では野菜を食べれる機会があまり多くはありませんでした。確かに肉系の料理はジャンキーで非常に美味しかったのですが、あまり健康的では無さそうです。
ちなみに筆者は筆者は野菜を食べたくなったら、韓国料理店でサムギョプサルを食べていました。
観光編:ニノイ・アキノ国際空港
まずフィリピンに来る人が必ず訪れるであろう場所がここ。筆者はセブから出発して、ニノイ・アキノ国際空港の国内線・ターミナル4に到着しました。このマイナーなターミナル4で手荷物受取り場を出ると、そこは屋外でした。
そうです、待機場所が屋外なんです。筆者は屋外にただ屋根があるだけの空港を初めて見ました。そして、ここに到着した午前4時から街中へ行くための公共バスを寒さに震えながら6時間ほど待った結果、筆者は普通に風邪を引きました。
もちろん国際線のあるターミナル1などは結構しっかりとした建物なのですが、ターミナル同士がかなり離れており、深夜はタクシーに高額な料金を支払わなければターミナル間を移動できません。とにかく不便でした。
また筆者はセブへの乗り継ぎで11/30の午前4時頃に初めてこの空港に到着したのですが、ノリノリのバンドが爆音でクリスマスソングを歌いながら迎え入れてくれました。
そして、筆者がマニラを去った12/24も勿論同じようにクリスマスソングを爆音で歌っていました。何ともフィリピンっぽい。そして、微笑みかけるとバンドメンバーの一人が寄付を要求してきました。これもまた、何ともフィリピンっぽい。
ここまでハイテンションで24時間歓迎し続けていると考えると、陽気さを通り越して狂気すら感じられます。まあずっと監視していたわけではないので、実際の所ずっと歌っていたのか定かではありませんが。
ちなみに、フィリピンでは9月くらいからクリスマスムードが始まるそうです。お祭り騒ぎの期間がかなり長いですね。筆者はフィリピンのこういう所が大好きです。
イントラムロス
メトロポリタン教会
しかし筆者は気づいてしまったのです。
フィリピンは過去スペインに300年以上占領されており、その間にカトリックが浸透し、現在でも約8割の人々がカトリックを信仰しています。教会に通っている人の多さや、人々と話している感じでは、この国の人たちは日本人と比べて随分と信心深い人が多い感じがしました。
この教会の博物館には、フィリピンに上陸した宣教師たちに関する展示が数多くありましたが、中には日本に上陸した宣教師たちに関する展示もありました。
博物館内には、筆者が知らないタイプの最後の晩餐の絵画も飾ってありました。
第二次世界大戦の様子を再現しているであろう兵士の銅像。何体か設置してあったのですが、よく見ると何故か全員裸足でした。流石に当時、靴は履いていたのではないかと思ったのですが、どうなんでしょう。
リーサルパーク
中学か高校の生徒と思しき集団が、庭園内でダンスの練習をしていました。青春を感じさせる、とても微笑ましい光景ですね。
滞在中、この国にはとにかくダンスや音楽が好きな人がとても多いと筆者は感じました。例えばこの国では、多くの家庭が自前のカラオケシステムを持っています。そのため街中を歩いていると、家から外に向かって歌っている誰かの歌声を爆音で聞くことがよくあります(騒音の一因)。フィリピンのそういう所も筆者は大好きです。
マニラ・オーシャンパーク
マニラベイ
筆者が塀の上に腰を下ろして、のんびりしていると滅茶苦茶ハエがたかってきました。快適にサンセットを見るには、ハエから逃げ続けるしかなさそうでした。
この街の綺麗な場所で夕日を見るには、高額な料金を支払って海沿いのホテルに泊まるか、高層コンドミニアムに宿泊するしかないように思われました。
トゥトゥバン/バクララン・マーケット
宿泊
実際のオーナーは予約価格よりも安く泊めてくれましたが、Booking.comへの支払いも同時に発生している(キャンセル料)状態になっていたため、筆者はBooking.comとやり取りしなければならなくなりました。(結局支払いキャンセルされたので良かったのですが)
またこの街はとにかく電波状況が悪く、マニラの安宿では携帯の電波が殆ど立ちませんでした。
電波状況を考えると、1泊500円以下の良い安宿はこの街には無い感じがしました。(知っている方いれば、教えて欲しいです!)まあ1泊1000円強も払えば超快適な高級コンドミニアムに泊まれるんですけどね。
まとめ
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セブで予定が無い方へ【穴場】マクタン島絶景スポット!
マーヨンガビイざねです。今回はセブ島に滞在しているけど、午後半日だけやることが無いという人に向けた記事です。セブで語学留学していて、週末の遊ぶところに困った人は参考にしてみて下さい。
- ことの発端
- 午前中
- 13:00
- 13:20マクタン・ニュータウン・ビーチへ
- 14:00 マクタンニュータウンで昼食。
- 15:00 マクタン・ニュータウン・ビーチ・到着
- 16:30-17:00 コルドバへ移動
- 17:00 岬へ到着。
- まとめ
ことの発端
語学学校の生徒である筆者とR君は若い先生(とその友達)と、日曜日にアイランドホッピング(小舟による島めぐり)をして遊ぶ予定でした。しかしながら、突如先生が筆者からのメッセンジャーを受信しなくなってしまったことにより、予定が無くなってしまいました。データ残高がないせいか、電波が圏外なせいなのか、フィリピンでは女性がメッセンジャーを受信しないということが度々起こります。いったい、どういうことなのでしょうか。
筆者は残念な気持ちでいっぱいでしたが、どうしても海へ行きたい衝動が抑えられませんでした。というのも、筆者は16日間セブに滞在していたにも関わらずバジャウ族の所へ行っても、ビーチへ遊びに行ったことがありませんでした。こんな日本人居ないんじゃないでしょうか。
午前中
筆者は連日のクラブ活動(というかクラブ通い)のため朝早く起きることができませんでした。更にはクラブ活動による疲れを癒すために、午前中はマッサージ店へ行く以外の選択肢がありませんでした。そういう気持ちだったんです。
13:00
この時点で遠出するには、時間が無さ過ぎるということに筆者は気づきました。
筆者は焦りました。このままではセブでビーチに行かずに終わると。
思い返すと学校には若い女性生徒が全くおらず、いつもどのお母さんが一番きれいかという話題で同じ学校の生徒R君と盛り上がっていたほど末期状態だった筆者は、朝までクラブに行くしかありませんでした。
13:20マクタン・ニュータウン・ビーチへ
何とかしてビーチに出かけたかった筆者は、Baniladにある語学学校からR君とジプニーに乗ってJセンターモールを目指しました。そこからGrabタクシーを使ってマクタン・ニュータウン・ビーチを目指しました。ちなみに、Jセンターモールからマクタンニュータウンへの料金は321ペソ(650円くらい)でした。
街中からそこそこ近いビーチへ。
14:00 マクタンニュータウンで昼食。
まだご飯すら食べていなかった筆者たちは、マクドナルドで昼食を食べました。この国ではコーラの味が日本と少し違う気がしました。
この後、マクタンニュータウンから徒歩でビーチへ向かいました。ここは地元民が利用する公共ビーチで、筆者達は若いフィリピン女子が沢山いることを期待しつつ、ウキウキしながらビーチへ向かいました。
15:00 マクタン・ニュータウン・ビーチ・到着
ここは、一人200ペソ(400円)というリーズナブルな値段で入場できます。ちなみに、マクタンでホテルのビーチをデイユースすると400~4000ペソ(8000円)くらいするようです。
海にはとにかく若い人たちが沢山いて、筆者達は最初ウキウキしていました。
しかしながら、海にいる多くの女性たちは、声をかけるにはとにかく若すぎ(5~10歳くらい)ました。
お客さんは殆ど子連れファミリーで、見ていて温かい気持ちになりました。ただ浜辺だから暑いのを、 なんだか温かいと筆者が勘違いしただけかもしれませんが。
またここの海の透明度は決して高くないため、リーズナブルに地元民グループや子供達と遊びたいというニッチな欲求にのみ答えてくれる場所かと思います。ナンパには全くおすすめできない感じがしました。ちなみに、子供に手を出すのはフィリピンでも犯罪です。
16:30-17:00 コルドバへ移動
ビーチからコルドバというところにある岬へ向けてトライシクルで移動しました。ランタウ・フローティング・ネイティブレストランを目指すのが良いかと思われます。
幾つかのネット記事では、この岬にはタクシーが無く、食事が終わるまで待機してもらう必要があると書いてありました。しかし、現在フィリピン人観光客がまあまあいるため、タクシーも普通に結構いました。場所が場所なので、値段交渉の必要があるかとは思いますが。
ちなみに筆者たちは、二人合わせて500ペソ(1000円)でビーチへの往復と1時間の待機をしてもらえました。最初マクタンニュータウンでタクシーを捕まえた時には3000ペソ(6000円)ほど要求してきたため、ダウンタウンへ出てから車両を捕まえることを強くお勧めします。
17:00 岬へ到着。
岬の先端へ入るのに20ペソ(約40円)かかりました。更に岬の端へ進み、1000Roses Cafeを利用すると建物の屋上からとても綺麗な夕日が見れます。筆者は150ペソくらいでカフェモカなるものを飲みながらサンセットを見ていました。
夜はライトアップしており、こちらも綺麗でした。
ちなみに、赤丸で囲んでいるのはただのゴミなのですが、ライトアップのおかげで何故か綺麗に見えました。ゴミすらもオブジェとして扱うフィリピンの大らかさには脱帽してしまいました。
今回筆者と同行していたR君は、ここのカフェの可愛い店員とフェイスブックIDを交換していました。次回からこんな綺麗な景色を女性と見れるなんて、許せません。
まとめ
綺麗なサンセットが見れるコルドバはアクセスが決して良くはありませんが、セブ市内からでも一時間ほどで行けます。岬にあるレストランでの食事は、カップルに最適かと思います。チクショウ。
以下のレストランのすぐそばにカフェ・展望デッキがあります。
【1000Roses Cafe住所】
Sa Baybayon, Cordova, Cebu
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セブで格安語学留学!【Glant English Academy】
Glant English Academy
今回筆者は、セブ島にある韓国人経営の語学学校Glant English Academyで2週間語学留学してきました。筆者は公共の学校教育以外受けたことが無かったため、プライベートスクールの授業を受けてみたいと思い入学しました。
授業
掛かった費用
雰囲気
筆者が滞在した12月上旬は完全にオフシーズンで、日本人生徒は筆者を含め4人だけでした。ちなみに日本人マネージャーとしてインターンしている男性が一人いましたが、筆者が到着する前日デング熱に罹ってしまい、筆者が卒業する数日前まで入院していました。他は韓国人生徒が7,8人と韓国人の小学生くらいの生徒が5,6人という具合でした。二週目には韓国の子供たちの数が倍くらいに増えて、賑やかさが増しました。
食事
部屋
筆者はドミトリー料金しか払っていませんでしたが、オフシーズンで全然人が居なかったため、二人用の部屋を一人で使わせてもらっていました。日本のビジネスホテルの部屋を広くして、少しボロくした感じがしました。エアコンを自由に使うことが出来て、かなり快適でした。ただ、フィリピンは物価のわりに電気代だけはかなり高額なため、あまりエアコンを使うとデポジット料金からかなりお金が引かれてしまいます。
また筆者はラッキーなことに、卒業後も数日滞在させてもらえました。全体的に、この学校は融通が利く感じがしました。
シャンプー、石鹸、ドライヤー、トイレットペーパーなどの日常用品は各自持ち込むか、近くのショッピングモールで買うこととなっていました。ベトナム以来ひどく腹痛だった筆者は最初、トイレットペーパーが無くて焦りました。
あと筆者は毎日ご飯を食べすぎていたためか、お尻から出てくる茶色いアイツが毎度かなりデカく、3回ほどトイレが詰まりました。更に筆者は、詰まりを直そうとして借りたキュポキュポする棒みたいなやつを折ってしまいました。本当、すみませんでした。
また事務室で衣類を預ければ、3kgあたり89ペソ(約180円)でクリーニングしてもらえました。洗濯機も備え付けてあったので、長期滞在する人にとっては洗濯機が経済的で良いでしょう。近くのスーパーには35ペソ(70円)くらいで12回使用できる個包装洗濯洗剤も売っていました。こんなカタチでアリエールと再会できるとは思っていませんでした。
Wi-Fi
各階に無料Wi-Fiがあるのですが、何故か頻繁にインターネットとの接続が途切れました。また、共用スペースや部屋ではWi-Fiが使用できるのですが、ほとんどの教室ではWi-Fiが繋がりませんでした。こういった所は、フィリピンクオリティですね。
立地
感想
あと一番大事な要素ですが、とにかく自由な雰囲気の中楽しく勉強できたのは何より良かったです。先生達も生徒達も最高でした。卒業時には寂し過ぎて泣きました。心の中で。
GLANT公式ホームページ
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【セブ島】バジャウ族の住居はこんな感じ!
マーヨンブンタグざねです。今回はセブ島に住むバジャウ族の所に宿泊してきたので、その様子をレビューします。
バジャウ族とは
伝統的にヤスを使った素潜り漁によって生計をたてている部族です。彼らは数世紀に渡ってマレーシア、インドネシア、フィリピン周辺の海で暮らしているそうです。過去バジャウ族の人々は多くの時間を海上で過ごしていたようですが、そのうちの一部は現在セブ島のマンバリンという地区に定住しています。下のリンクは少し古い記事ですが、バジャウ族の実態が一番分かりやすい感じがしたので、是非ご一読下さい。
シーズンになると、皆で漁に出て大きな魚を捕らえに行くそうです。未だに彼らの素潜り能力は尋常でないらしいです。
バジャウ族への行き方
https://nn-karahajimaru.com/【完全版】-セブ島・バジャウ族までの行き方
この記事の通りでした。筆者はEモールという所までジプニーを乗り継いで行って、そこからバイクタクシーでガイサノアヤライへ行きました。ちなみに、この記事にあるトライシカルドライバー達はガイサノモールからバジャウ集落付近まで大量にいるのですが、そこそこおじいちゃんなドライバーでさえ筋肉ムキムキでした。
ムキムキの人たちが使えば、三輪車でさえビジネスが出来るんですね。筋肉万歳。モーターバイクを使ったトライシクルという似たような乗り物もあるんですけどね。はい。
ちなみにジプニーとはフィリピンの乗り合いバスのようなもので、初乗り8ペソ(約17円。最近1ペソ値上がりした模様)でかなりの距離を移動できます(長距離でも大して料金が上がらない)。とても安く移動出来るので、節約したい人やローカル感を味わいたい人にはかなりオススメの交通手段かと思います。乗る際には密集しているので、盗難だけには気を付けましょう。
ジプニーは混みあっていることがよくあるので、中に入り切れない時は写真のように車両後方にしがみ付きましょう。涼しいので、逆に快適です。
またよく見ると、車両横側のペイントは路線名(13c)と行先(TALAMBAN-COLON)になっています。筆者は最初このペイントのことを、タダのオシャレか何かと勘違いしていました。
バジャウ族の集落へ
筆者はトライシカルに乗ってバジャウ族の集落へ向かいました。写真はバジャウ族集落の手前の様子。徐々にダウンタウン感が強くなっていきました。
トライシカルドライバーにバジャウ族集落の手前まで連れて行ってもらい、集落入口から子供に道案内してもらうと、橋渡りが始まりました。
橋なのか木の板なのか分からない道はまあまあ不安定で、落ちるとヘドロまみれになってしまうとのことでした。たまに落ちる人もいるとのこと。
そのまま集落内を進んでいると、なぜか力士が居ました。
そうです。子供たちに囲まれているのは、筆者が未だテレビでしか見たことが無い力士です。
筆者は到底力士に勝てる気がしなかった為、これといったバトルを展開することもなくそのまま集落内を進んでいきました。と言いますか、ツッコミどころが多すぎて逆にスルーしてしまうという事態に陥ってしまったのでした。何で、力士…
集落内には沢山の子供たちがいました。そのせいもあり、どこに行っても賑やかな感じがしました。
松田大夢
しばらく進んでいると、目指していたと思われる建物に到着しました。
そう、ここには松田大夢という日本人が住んでいるのです。
彼はシャイマというバジャウ族の女性と結婚しており、現在息子が一人います。とても可愛いかったです。
この日はヒロム君のお宅に泊めてもらいました。ヒロム君が何故ここに住んでいるのか疑問に感じた人は、彼のブログやツイッター、Youtubeをチェックしましょう。筆者はこの場所を訪れた後に彼のブログを読んで、すっかりファンになってしまいました。
ちなみに、先ほどの力士もこのお宅を目指してやってきました。どうやら彼は現在ごっちゃんこという名前でストリートラップ系Youtuberをやっているらしく、過去には大相撲の力士だったそうです。やはりコスプレではなくガチ力士でした。
宣伝が多くなってしまいましたが、良ければ彼もチェックしてみて下さい。
夕食は屋台飯
夜は夕食を買いに、近くの夜市に出かけました。バジャウ集落の付近は昼でも夜でも人がたくさんおり、何だか活気にあふれている感じがしました。
夕食にはローカルフードを食べてみたかったので、バロットという孵化しかけている卵を買って食べました。ショウガが入っているタレ、塩と一緒に食べると、とても美味しかったです。つまみにすると最高ではないでしょうか。
この家には現在数名の日本人が住み込んでおり、皆で晩御飯を食べました。この日のゲストは筆者(男)と右の女性Yさんの二人。一番手前がヒロム君の美人妻・シャイマです。ちなみに、この夜ヒロム君は外出していました。
住居の様子
ヒロム君の家は3階建てになっており、写真に写っている3階の部屋で主に生活していました。ここの部屋の片側には壁が無いため、風通しがとても良く涼しかったです。夜はわりと快適に寝ることが出来ました。あと、壁がない側から外に向かって放尿する時の解放感が半端ではなかったです。
ヒロム君の家庭ではゴミ含めあらゆるものを海へ投げ捨てていました。バジャウ集落では普通のことのようです。
フィリピンには法律に合致した適切なごみ焼却施設が無く、全てのゴミが埋め立てられています。そのため、国内に多くのゴミ山が出来てしまっているようです。
このバジャウ族居住地域がゴミで溢れているのも、近隣地域や居住地域でごみ処理が適切になされていないせいではないかと思われます。
この集落では、それぞれの家庭が巨大なスピーカーを持っているようで、殆ど一日中どこかから大音量の音楽が流れてきていました。良いですね。こういう雰囲気は大好きです。
一泊してみて
日本の生活に物足りなさを感じる人にとっては、立ち寄ってみるだけでもかなり興味深い場所だと思いました。また、人々にとっての生活の在り方、貧困、環境問題など様々な要素がこの場所では凝縮されて、ダイレクトに感じられるかと思います。
フィリピンで一番ディープな場所とあのヒロム君も言っていたので、興味ある方はぜひ訪問してみてください。ツアーなども開催しているようです。詳細は以下のURLにて。
https://nn-karahajimaru.com/バジャウ族
訪問したい方は、マネージャーに事前連絡を取ってから行くようにしましょう。
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海外旅行保険を実際に使って、病院行きました
こんにちは。何でもネタざねです。先日、筆者はベトナムで食当たりしてしまいました。4年ぶりの食中毒です(ちなみに前回は、腐ったチーズを食べたら高熱が出ました)。
そこで、今回は海外旅行保険を実際に利用してホーチミンの病院で受診してきたので、その時の様子を投稿致します。読者の方が、少しでも海外旅行保険を使う際のイメージが湧けば幸いです。まあ、使いたい人はあまりいないでしょうが。
ちなみにトップ写真は、よく見ると工事中のサイゴン聖堂でした。
- 事の発端
- 11/28 悪夢の始まり
- 変なおっさんのバイクに乗る
- 戦争証跡博物館
- 統一会堂
- 保険利用の様子はここから
- 東京海上日動に電話
- とても丁寧な対応
- Raffles Medical in Ho Chi Minh
- 海外旅行保険はやはり加入すべき
事の発端
そうです。おそらく、あの屋台が良くなかったのです。
ホーチミンにある、ちょっと割高だけど様々な地元食を食べることが出来る”ストリート・フード・マーケット”。普段はローカルな屋台飯を食べている筆者なのですが、今回はベトナムに2日間しか滞在できないということで、この観光客向けフードコートみたいなところで初のベトナム料理を楽しんだのでした。
この晩筆者が食したのはベトナム料理ド定番のフォーと生春巻き、おまけにサイゴンビールなるものまで付けたのでした。この時フォーだけ注文しとけば良かったのでしょうが、きれいなお姉さんにそそのかされ、調子に乗ってビールと生春巻きを追加注文してしまいました。(ちなみにこの時、全所持金約1000円。料理頼む前は、1万円持ってると思い込んでましたが。)
しかし、これが運の尽きだったのです。
11/28 悪夢の始まり
翌朝、何だかいつもと違う水のようなものがお尻からとめどなく出てきたのでした。しかし筆者は、一度出し切ってしまえば特に問題ないだろうと思い、たいして気にすることもなく戦争証跡博物館へと向かい始めたのでした。ここでの詳しい様子は前回記事で。
変なおっさんのバイクに乗る
前回ブログには書いていないのですが、戦争証跡博物館へと向かう途中、酒と女が好きだという変なおじさんが日本語で絡んできて、彼のバイクに乗って少し案内されることになったのでした。
そして、おっさんはともかく、このあたりからとにかく便意が増してきたのでした。
マクドナルドの便所へ駆け込む
おじさんに案内されている最中に、便意を我慢できなくなり、マクドナルド併設の屋外有料トイレへ駆け込みました。といいますか、この日4回このトイレを利用することになったため、お金を回収する清掃のおばちゃんに無駄に顔を覚えられてしまいました。
ちなみに、お昼は衛生的問題が無いと考え、マクドナルドを食しました。おそらく世界中同じ味でとても美味しかったのですが、お腹に良かったのかと言われると、疑問が残るところです。
戦争証跡博物館
ここでも僕は、便意との闘いを繰り広げつつ見学していたのでした。流石に不謹慎なのは承知ですが、その時の便意たちは完全にゲリラ戦を仕掛けてきたのでした。
統一会堂
この辺りから腹痛が始まりました。流石に元大統領官邸というだけあって、トイレがかなりキレイでした。そして、僕はこの施設への興味と便意のために、この施設から出ることが出来なくなったのでした。
保険利用の様子はここから
東京海上日動に電話
夜9:30になっても腹痛は悪化する一方で、流石に何かがおかしいと、このころになって筆者は気づきました。というか、おかしいのは筆者なのかもしれません。
今回僕が加入していたのは東京海上日動の海外旅行保険でした。
東京海上日動では24時間日本人スタッフが電話対応しており、
・LINE無料通話(東京海上日動推奨)
・フリーダイヤル
・ダイヤル直通
・国際コレクトコール
のいずれかで連絡できるのですが、簡便さとコストを考えるとスマートフォン所持者であれば、まずLINEを利用するでしょう。
筆者もホーム画面にあらかじめ追加しておいた、東京海上日動HPショートカットから、スムーズに連絡が取れました。
とても丁寧な対応
(おそらく)若い女性スタッフが対応してくれました。簡単な本人確認の後、容態の確認が行われ、すぐに案内可能な病院が紹介されました。しかし、時間も遅かったため当然のごとく緊急外来しかありませんでした。当時筆者は腹痛がひどく、熱っぽかったため、利用しても全く問題なかったと思うのですが、腹痛ごときで緊急とか言うのは何だか嫌だという意味不明な理由から、翌朝病院へ行くと伝えたのでした。大丈夫なら電話越しに、いちいちうめくのをやめろと女性スタッフは思ったかもしれません.。
Raffles Medical in Ho Chi Minh
翌朝ホテルから2キロ圏内にある病院へ連絡しました。電話をかけると、自動音声で言語を選ばせてぼらえ、日本語を選ぶと日本人スタッフが対応してくれました。そのまま予約をして、治まらない腹痛を抱えつつ病院へ向かいました。
見出しにあるように、Raffles Medical in Ho Chi Minhという病院を利用したのですが、お腹が痛すぎて外観写真を撮る余裕がありませんでした。上のイメージ画像で、どうか勘弁してください。 病院は、どこもこんな感じです。
病院に着くと、最初にパスポートと保険契約証の原本の提出が求められました。あまり大きくはない病院でしたが、とてもきれいで、日本人利用者がとても多い感じがしました。
病院には日本人の先生がいたのですが、予約待ち時間が少し長くなりそうだったので、シンガポール人の先生に診てもらいました。しかし診察では、日本人スタッフ(事務の人)が隣に立って先生の言うことを通訳してくれたので非常に安心できました。
また、最後に処方された薬を渡す窓口においても、通訳してくれました。処方された薬が多く、それぞれの飲むべきタイミングや注意事項がバラバラで、正直日本語で聴いても最初混乱したレベルだったため、これらに関しては変にいきり立って英語で聴かなくて良かった気がします。
筆者は診察後、点滴を打つこととなり、結局この日は一日中病院のベッドの上で過ごしたのでした。
お昼になると、レストランのメニューのようなものが渡され、和・洋・ベトナム食など様々に取り揃えてある中から、好きな食事を頼むことができました。筆者は約二ヵ月ぶりにうどんを食べましたが、日本で食べるものと変わらない味で、とても美味しかったです。
最後に、サインだけして無事お金を払うこともなく(もちろん事前に保険料は払っていますが)病院を後にしたのでした。
海外旅行保険はやはり加入すべき
今回のような事態の為にも、長期旅行の際は海外旅行保険に入った方がよいと感じました。きちんとした保険に入っていれば、かなり安心できるサービスを受けることが出来ます。
もちろん3か月以内の旅行であれば、クレジットカードの付帯保険でも十分かとは思いますが、”キャッシュレスでの受診”に対応している保険の方が、お金について心配することなく安心して受診出来るので、良いと思いました。アメリカなどの物価の高い国では、高額な医療費を請求される場合もあると思うので。
次回からは、フィリピンのセブ島で語学留学します。語学学習のためしばらく更新が無いかもしれませんが、きっと元気でやってます。では、次回お楽しみに。
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2019/11/27,28 ホーチミン見学
こんにちは。食中毒ざねです。本日は、ベトナム・ホーチミン見学の様子をレビューいたします。ああ、お腹痛かった。ちなみに写真は、ホーチミンの観光スポットの一つ・サイゴン中央郵便局です。
27日 プノンペン⇒ホーチミン
プノンペンから今回もバスでホーチミンへ向かいました。ホテルで予約して、ピックアップに来てもらったため1200円くらいかかりました(最安値は1000円以下)。
利用客は殆どカンボジアの人でしたが、席がすいていたため広々と使えて快適でした。
タイやカンボジアの長距離バス・電車では、大音量で動画を見たり、誰かと大声でビデオ通話していたりする乗客をよく見かけました。そして、静かにしなさいといった類の注意書きも見たことがありません。
こういう違いを発見すると、改めて多くの日本人が共有しているルールや考え方(今回の例では、公共の場では静かにすべき・人に迷惑をかけてはだめなど)が浮き彫りとなる気がします。
今回、初の陸路による国境越えをしました。
バスのスタッフが英語を殆ど喋れなかったため、残念なことに終始何が起きているのかよく分かりませんでした。
一度バスを降りて検問っぽい所を通ったので、乗客の荷物チェック・パスポートチェック・車両チェックが行われたんでしょうね、多分。
国境を超えると、当然ながら街中にある看板の文字が全てクメール語からベトナム語に変わりました。
現在のベトナム語では、フランスの植民地時代に普及したクォック・グーと呼ばれる表記が行われています。これは、ラテン文字に声調記号(音の上げ下げ)が記された文字で、長らく中国やフランスの支配下(ちなみに、日本が占領していた時期もあります。)にあった影響が至る所に見られるのは、非常に興味深い所です。
乗客が少なかったためか、途中で全員バスを降ろされ普通車でホーチミン入りしました。市街地へ到着すると、とんでもない数のバイクが。
ベトナムの平均月収は3万円ほど。しかし一般人でも、ITエンジニアなどでは月収20万円ほど稼ぐ人も多くいるようです。
ただ、ベトナムでは自国の自動車産業を発展させるため、輸入規制が厳しかったり、高額な関税が設けられたりしているようで、現状普通の人が自動車を手に入れるのはまだまだ難しいみたいです。
ホテルにチェックインする前に、クレジットカードでキャッシングするためATMへ向かいました。そこでキャッシングした時のレシートが以下になります。
20万ドンという超大金をおろした感じがしたのですが、これは約1000円で、翌日にはお金が微妙に足りなそうだったので、また手数料をかけて下ろす羽目になったのでした。下ろす桁数を一桁間違えた筆者。ベトナム初心者丸出しで、何とも恥ずかしい。
ベトナムドンはインフレが凄まじく桁数がとんでもないため、カンボジアに引き続き、通貨のやり取りがややこしかったです。ああ、もう。
夜には、サイゴンスカイデッキというオフィスビルの展望台へ登りました。ホーチミンは写真のように、かなり発展しています。
スカイデッキは人で溢れており、中には日本人によく似て、とても可愛らしい人が沢山いるような感じがしました。
しかし話す言葉をよく聞いていると、皆日本語を喋っており、おそらく修学旅行か何かの団体でした。結局、日本人女性が一番可愛く感じるのでした。
帰りのエレベーターを待つ人々。何故か男の人(もちろん日本人)がほぼ全員キャップを被っていたのですが、現在日本ではキャップが流行っているのでしょうか。ここ一ヶ月の日本トレンドに置き去りにされている筆者。帰国したらキャップ一択ですかね、これは。
28日 朝
午前中にホテルを出て目的地へ歩いて向かおうとしたところ、この町の交通状況の危険さを理解しました。道路を横断しにくいランキングがあるとするならば、この街は東南アジア内で1、2位(ハノイが1位?)をマークするのではないでしょうか。
とにかく交通量が多い上に、逆走・歩道を走るようなバイクも結構います。また大きな交差点以外に信号が無く、筆者は最初、ホテル前の道をなかなか渡ることが出来ませんでした(その後は慣れましたが)。
ちなみに運転者年齢若年ランキングがあるとすれば、おそらくカンボジアが1位で、小学3年生くらいの子供たちが普通にバイク3人乗りをしていました。カンボジアでは125cc以下のバイクなら免許不要らしいです。
ベトナム戦争証跡博物館
午前中に訪れたこの博物館には、ベトナム戦争にまつわる物が展示されていました。
ここの展示は、戦争の悲惨さが際立つ構成になっていたように感じました。
ゲリラ戦を展開してくるベトコン(南ベトナム解放民族戦線)に対して、ゲリラたちが隠れる場所を無くすため、米軍が使用した枯葉剤によって多くの土地が汚染されました。汚染された土壌は、何世代にも渡りベトナムの人々に遺伝的疾患を引き起こしたのでした。
※以下ショッキングな写真となっているのでご注意ください。
また、戦闘に参加した米兵たちの中にも枯葉剤の犠牲となった人々がいたようで、そのことに関する展示もありました。
この戦争では米軍にも5万人以上の犠牲者が出ており、米軍内で反戦を訴える動きもあったようです。
これは、米軍に従事していた証言者の回顧録と、その当時の写真です。彼の上官が、その場にいた一般農民を全員撃ち殺したそうです。
別の展示では、全てを破壊し、全員殺すことが当時のアメリカ軍の、とある部隊でのミッションだったと述べられていました。
日本人戦場カメラマンの写真も、多く展示されていました。これはその一枚で、どう見てもただの農民にしか見えない男を追いかける米兵の様子です。
幾つもの痛ましい写真や、ベトナム戦争に反対した人達のエピソードが展示されていました。こういった写真や活動によって世論は反戦ムードに傾き、その世論の後押しによって、アメリカ軍はベトナムから撤退していくこととなったのでした。
靴磨き
ベトナム戦争証跡博物館を出て、次の目的地まで歩いていたところ、いきなり若い男が筆者のサンダルを磨き始めたのでした。立ち止まっていないにも関わらず。動く足にまとわり付きながら、靴を磨くことが出来るテクニックはあっぱれという感じでした。
正直全く靴(というかサンダル)を磨いて欲しくなど無かったのですが、足に纏わりついてくる情熱が凄すぎて、何だか面白いと思ってしまい、そのまま磨いてもらってしまいました。といいますか、ずっと磨かれていたのですが。
そして10分ほどで磨き終えると、彼らは靴磨き代として10万ドンという超大金を要求してきたのでした(日本円にして500円くらい)。ベトナム人の平均日給は1500円くらいなので、かなりウマい商売です。天才か、お前らは。
流石に高いと言って出し渋っていたのですが(当時の所持金800円くらい)、財布からお金を取り出しかけてしまい、それを狙って颯爽と5万ドン札2枚を抜き取られてしまいました。
食い下がっていると、すぐに150円くらい返してくれたので納得価格でしたが、東南アジアではこういう類のぼったくり?や値切り交渉が頻発します。まあ、お金持ってるんだから払いなさいよという向こうのスタンスも理解はできますが。こっちはこっちで節約したいので、たまに戦いになります。というか、これが無ければもう一度お金を引き落とす必要は無さそうでした。何という物価の安さ。
統一会堂
ここは南ベトナム政権時の旧大統領官邸です。それ以前はフランス提督が利用していた建物が同じ場所に建っていました。(1962年、爆撃により倒壊)ここはベトナム戦争終結の場所で、ベトナム統一のシンボルとなっています。
中はground floor(1階),1st floor(2階),2nd floor(3階)となっており、日本人的にはややこしいこの階数の数え方も、フランスの影響ではないかと思われます。
旧大統領官邸のため、会議室や執務室が多いのですが、中にある調度品には中国的な雰囲気も強く感じられるように思いました。
そして、一番気になったのは国家安全保障会議室。
ここにある電話は各国の要人などとの直通電話だったようですが、ピンク色の電話は女性への直通電話だったそうです。しかも二つもある。どういうことなんでしょうか。
筆者は気になってしょうがなかったのですが、別の観光客についていたガイドさんの話を勝手に聞きかじっていただけなので、流石に質問までは出来ませんでした。ググっても出てきません。詳細を知っている方がいれば、ぜひ教えて頂きたいです。
3階には劇場やプレイルームなどの娯楽施設がありました。来賓の接待に使われたのでしょう。そのまま屋上まで上がると、ヘリコプターが。
そして順路通り進むと、最後に行きついたのが地下室でした。
地下室は軍事指令室として使われていたようで、多くの無線傍受機や通信機器が、当時のまま置かれていました。この地下室の雰囲気は、他ではなかなか味わえないものだったと思います。
最後のフィルムルームでは、統一会堂の歴史やベトナム戦争の経緯について、主に政治的な観点から振り返ったビデオの上映が20分くらいありました。ビデオからは、統一を果たしたことに対する強い誇りのようなものが感じられました。一種のプロパガンダかもしれませんが。
ちなみにビデオは英語で視聴したのですが、視聴室を出るとおそらく同じ内容のビデオをそれぞれ異なる言語によって4部屋くらいで上映しており、その中には日本語もありました。こっちで見れば良かったと後悔したので、皆さんも訪れる際にはご注意を。
今回はこんな感じの記事でしたが、見学中も含め、この日に僕は30回くらいトイレに駆け込み、お尻がヒリヒリしていたのでした。その詳細につきましては、次記事で。
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2019/11/25.26 プノンペン見学
25日プノンペン到着
プノンペンは他の東南アジア地域と比べると、特段物価が安いという感じはしません。(もちろん日本であればスーパー玉出クラスの安さですが。)特にスーパーやコンビニへ行くと、多くの商品が国外からの輸入品であることも(表記がクメール語でないものが沢山ある)一因ではないかと思われます。カンボジアの食品製造は、まだまだこれからという感じがします。
26日
キリングフィールド
トゥールスレン収容所
負の遺産を一日見学してみて
世界史を勉強していると、過去に行われた様々な虐殺を知ることとなります。ただその中でも、同じ民族内でこれほど直接的・原始的な手段によってこの規模の虐殺が行われた事例は他に無いのではないでしょうか。
ワット・プノン
陰惨な気分を引き摺りつつ、夕方からは街歩きをしました。
ワット・プノンはプノンペンの名前の由来になった由緒あるお寺です。参拝したところ、多くの(たぶん)地元の年配の方が、孫と思わしき子供を連れて来ていました。
堂内には多様なタイプの仏像が安置されており(よく見ると中央下には寝ている仏様も)、壁面は仏教の説話をモチーフにした絵画で埋め尽くされていました。(僕の知識では、この類の壁画は全て仏教説話モチーフなのですが、間違っていたらどうかご指摘ください。)
面白いことに、こういう壁画にも地域性は現れるもので、この堂内で描かれている人間や仏様は基本的に二重まぶたで、タイで見た壁画類は一重・二重まぶたが半々くらいな感じがしました。
日本や中国では一重まぶたが多いですよね。(え、気にしてないですか?)皆さんも仏教施設を訪れることがあれば、一度よく見てチェックしてみてください。
よほど信心深い人なんだなと勘違いされるかもしれません。
リバーサイド
日没時には、リバーサイド(トンレサップ川沿い)を散歩しました。綺麗に舗装されており、多くの市民達の憩いの場となっていました。
分かりづらいですが、彼らはけん玉をして遊んでいました。見たことないアクロバットな技を連発していたところを見ると、プノンペンのけん玉レベルは相当なものと思われます。たぶん。
クルーズと発展した対岸の街並み。ポル・ポト時代に荒廃した状態から、中々なスピードで発展しています。
ここは世界一敷居の低いカジノと言われており、ドレスコードなど一切なく、事実上誰でも入場できているようでした。中には親に連れられた小さい子供もいました。
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2019/11/23.24 シェムリアップ観光
スーステイざねです。二日間カンボジア・シェムリアップ付近を観光したので、今回はその様子を投稿します。
カンボジア到着
初の日本人ゲストハウス
1日目:プレアヴィヒア・ベンメリア・パブストリート観光
よくあるジャンプ写真を撮ろうとしたものの、撮りなれ無さ過ぎたためか、編集をミスった合成写真みたいになってしまいました。
建造は11世紀末~12世紀と推定されているよう。千年前の物がまだ形を留めているというだけで、ロマンを感じられます。
2日目:アンコールワット観光
遺跡内にいるあらゆる売り子や写真を撮る人、お経をあげるおばちゃんなどが毎度マネーを要求してきました。お経を読んでくれたおばちゃんにリエル(カンボジアのお金)を沢山あげたら、ドルドル言われました。悲しいことに政府の信用が無さ過ぎて、この国の人々は皆米ドルを欲しがるのでした。
オンライン世界と言えば、最初一緒にアンコール観光をしていたプノンペン留学中のR君。彼は通常スマホを7台同時使用してポケモンGOをプレイしており、カンボジアではレジェンド的存在のようです。
一瞬で出てきてしまいました。1ドルでこれが食べ放題と言われました。金を払って拷問を受けろとでも言っているのでしょうか。
3日目:朝のバスでプノンペンに向けて出発。
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2019/11/12 イーペン祭り【ドイサケット会場】
イーペン祭りとは
説明しようと思ったのですが、現地人にきちんとした意味を確認してないので、こちらのブログに説明は譲ります。
この時期は米の収穫なども行われるため、収穫祭的な意味合いが強い気はします。偏見に過ぎませんが。僕が書けることはこの程度が限界といったところでしょうか。
ドイサケット会場に行ってきました。
会場で日本人と仲良くなりました。
伝統舞踊
煽りまくる司会者
無法地帯な街
ドイサケットでの祭りが終了してから街中に戻ってみると、まだこちらの祭りは続いていました。
街中では川沿いで灯篭流し+ランタン飛ばしを各人が思い思いにやっていました。前述のとおり、僕らは川で灯篭を流しました。
翌日
【タイ】 チェンマイの田舎でファームステイ
ダージャーハオざねです。
Worldpackers
世界中の人々が登録しており、ダウンロード回数は10万回を超えています。ボランティアしたい人とホストを繋ぐ掲示板のようなアプリケーションです。
今回はこれを使用して、タイの田舎の農家へ行くこととしました。
タイの人々の生活にお邪魔したい
バスはすしずめ状態でした。はみ出た2人は立ってます。サモンシティの農家四件が外国人を受け入れており、それぞれ別々の農家へと向かって行ったのでした。